
11月の東京には、江戸の匂いが立ち上がる瞬間がある。
それが――酉の市。
商売繁盛を願う熊手、威勢の良い手締め、夜の参道。
銀座の男・鉢嶺が、BeeBeeスタッフとともに「一の酉」「二の酉」を参拝し、江戸の粋と熱気を体感した二夜を記録する。
一の酉 ― 11月12日、午前4時。浅草「鷲神社」へ


営業を終えた午前4時ごろ。
銀座から車を走らせ、静まり返った浅草へ。
鷲神社は、江戸時代から続く“商売人の聖地”。
銀座のクラブ関係者も多く足を運ぶ由緒ある場所だ。
この深夜の空気は、昼や夕方とはまるで違う。
人が少なく、屋台も閉まり、街のざわめきよりも、
神社の静けさが勝っている時間。
その静寂の中、鉢嶺はふとつぶやく。
「1年の“区切り”って、こういうところでつくるんだよね。」
昨年は参拝者も多く賑わっていたが、
今年の一の酉は驚くほど人影が少ない。
“静かに願いを置く朝の酉”となった。
二の酉 ― 11月24日、夜の「花園神社」へ


訪れたのは祝日かつ21時という時間帯。
浅草とは対照的に、花園神社は熱気に満ちていた。
屋台の匂い、参道の人波、手締めの音。
酉の市らしい“江戸の熱”が肌に触れる。
同じ酉の市でも、浅草は“静”、
花園神社は“動”。
その対比が、二夜の旅にリズムを与えてくれた。
熊手を買う。願いを重ねる。
酉の市といえば熊手。
縁起物を盛りつけた熊手を“前年より少し大きくして買う”ことで、
商売繁盛が続くといわれる。
鉢嶺たちも今年の熊手を購入し、恒例の手締めへ。
「よーっ!パンパンパン、シューッ!」
参道のあちこちで鳴り響くこの音が、
酉の市を象徴する“景気づけ”そのもの。
新しい熊手を受け取った瞬間、
年の節目をひとつ上書きした気持ちになる。
見世物小屋 ― 2年ぶりに灯った“昭和の火”

花園神社の酉の市といえば、これを外すことはできない。
見世物小屋。
“生きた文化財”とも呼ばれるこの空間が、
今年は2年ぶりに復活した。
昔は“蛇女”など過激な演目もあったが、
現在はコンプライアンスで内容が調整されている。
それでもステージは圧巻だった。
- 河童三姉妹
- ビール瓶の破片を食べる芸
- 口にロウソクを入れる演目
- 玉手箱(マジック)
- 双子頭の牛(展示)
バンド演奏がドラム・キーボード・鈴という
なんとも味のある編成で、
小屋全体が“昭和のエンタメ”として呼吸している。
スマホ時代にあって、
“写真も動画も禁止”の世界が目の前にあるという贅沢。
鉢嶺は小屋を出たあと、しみじみと語った。
「こういう“残していく文化”ってやっぱり必要だよね。」
銀座の男が見た、酉の市の本質
浅草の静けさ。
花園神社の熱気。
熊手の手締めのリズム。
そして見世物小屋の生々しいライブ感。
すべてに共通していたのは――
「商売を続ける人の願いと、街の熱量」
銀座の世界も、
伝統芸能も、
夜の仕事も、
表現の仕事も。
結局は“願い”が街を動かす。
酉の市を歩くと、そのことがよくわかる。
最後に|願いを置き、また一年を歩く
人混みであれ静寂であれ、
酉の市には“区切り”がある。
熊手に願いを託し、
手締めの音を背中に受け、
また一年を歩き出す。
鉢嶺は参道を抜けながら、
振り返ってこう言った。
「来年は、今年より大きい熊手を持ち帰りたいね。」
その言葉が、酉の市のすべてを象徴していた。